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名古屋高等裁判所 昭和53年(ネ)437号 判決 1982年5月24日

第一審原告(第四三七号事件控訴人第五〇八号事件被控訴人) 甲野一郎

<ほか四名>

右五名訴訟代理人弁護士 原山恵子

同右 原山剛三

第一審被告(第五〇八号事件控訴人第四三七号事件被控訴人) 甲野花江こと 甲野花代

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

二  第一審原告らの主位的請求をいずれも棄却する。

三  第一審原告らの予備的請求につき、

1  第一審被告は第一審原告らそれぞれに対し各金一〇二万六三四四円の支払をせよ。

2  第一審原告らのその余の予備的請求を棄却する。

四  訴訟の総費用はこれを五分し、その三を第一審原告らの、その余を第一審被告の各負担とする。

事実

第一当事者の申立

(第一審原告ら)

一  原判決を次のとおり変更する。

1 主位的請求について((二)ないし(四)は当審において請求を変更)

(一) 第一審被告は、第一審原告らに対し、別紙第一目録(一)記載の土地につき別紙登記目録(一)記載の登記の、同第一目録(二)記載の土地につき同登記目録(二)記載の登記の、同第一目録(三)記載の土地に対する権利につき同登記目録(三)記載の登記の各抹消登記手続をせよ。

(二) 第一審原告らと第一審被告との間において、別紙第二目録記載の土地につき、第一審原告らが各五分の一宛の持分権を有することを確認する。

(三) 第一審原告らと第一審被告との間において、別紙第三目録記載の各預金債権につき、第一審原告らが各五分の一宛の権利を有することを確認する。

(四) 第一審被告は、第一審原告らそれぞれに対し、各金一三万〇七九一円及び同金員に対する昭和四二年九月二三日から支払済まで年五分の割合による金員の支払をせよ。

2 前項(一)ないし(三)の予備的請求について(当審において変更。なお、左記の予備的請求(一)と(二)は選択的に請求する。)

(一) 第一審被告は、第一審原告らそれぞれに対し、各金一二〇万二〇四八円の支払をせよ。

(二) 第一審原告らと第一審被告との間において、別紙第三目録(二)記載の(1)の預金債権につき、第一審原告戊田冬子は一〇〇〇分の五二八、同乙山春子は一〇〇〇分の四七二の各権利、同目録(二)記載の(2)の預金債権につき、第一審原告乙山春子は一〇〇〇分の五七、同丁原秋子は一〇〇〇分の五二八、同丙川夏子は一〇〇〇分の四一五の各権利、同目録(二)記載の(3)の預金債権につき、第一審原告丙川夏子は一〇〇〇分の一七〇、同甲野一郎は一〇〇〇分の七九二の各権利をそれぞれ有することを確認する。

二  第一審被告の控訴を棄却する。

三  訴訟費用は第一、二審とも第一審被告の負担とする。

との判決及び一の1の(四)につき仮執行の宣言。

(第一審被告)

一  第一審原告らの控訴をいずれも棄却する。

二  原判決中第一審被告の敗訴部分をいずれも取消し、第一審原告らの請求を棄却する。

三  訴訟費用は第一、二審とも第一審原告らの負担とする。

との判決。

第二当事者双方の主張

(主位的請求)

一  主位的請求の原因

1 第一審原告らは訴外亡甲野太郎(以下、太郎という。)の子であるが、太郎は昭和四二年六月二七日死亡した。

2(一) ところで、別紙第一目録(一)及び(二)記載の土地の所有権並びに同目録(三)記載の土地の所有権移転請求権は太郎に属するものであったから、第一審原告らは、太郎の死亡により、これらを相続により取得した。

(二) しかるに、太郎から第一審被告に対する贈与を原因として、別紙第一目録(一)記載の土地については別紙登記目録(一)記載の、同第一目録(二)記載の土地については同登記目録(二)記載の、同第一目録(三)記載の土地に対する権利については同登記目録(三)記載の各登記がなされている。

(三) しかし、右贈与がなされたことはないから、右各登記はその原因を欠く無効のものである。

3(一) 別紙第二目録記載の土地の所有権及び同第三目録記載の各預金債権は太郎に属するものであったから、第一審原告らは相続によりその各五分の一宛の権利を取得した。

(二) しかるに、第一審被告は太郎から右土地及び預金債権の贈与を受けていると主張する。

4(一) 第一審被告は、太郎の承諾を得ることなく、昭和四一年一月七日頃、岡崎信用金庫等に預金してあった太郎名義の預金六八万〇九五七円を勝手に引出し、自己の物とした。

(二) 第一審原告らは、太郎が第一審被告に対し有する右不当利得金の返還請求権を相続し、各その五分の一である金一三万〇七九一円の割合でこれを承継した。

5 そこで、第一審原告らは第一審被告に対し、

(一) 別紙第一目録記載の各土地及び権利につき、主位的請求(一)記載のとおり、各登記の抹消登記手続を、

(二) 別紙第二目録記載の土地につき、第一審原告らが各五分の一宛の持分権を有することの確認を、

(三) 別紙第三目録記載の各預金債権につき、第一審原告らが各五分の一宛の権利を有することの確認を、

(四) 前記不当利得金各一三万〇七九一円及びこれに対する訴状送達の日の翌日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を、

それぞれ求める。

二  主位的請求原因に対する答弁

1 請求原因1は認めるが、第一審被告も太郎の子である。

2 同2の(一)は、別紙第一目録(一)及び(二)記載の土地の所有権並びに同目録(三)記載の土地の所有権移転請求権が太郎に属するものであったことは認めるが、その余は否認する。

同2の(二)は認める。

3 同3の(一)は、別紙第二目録記載の土地の所有権及び同第三目録記載の各預金債権が太郎に属するものであったことは認めるが、その余は否認する。

同3の(二)は認める。

4 同4は否認する。

三  第一審被告の抗弁

第一審被告は、第一審原告ら主張の各物件及び権利を、太郎から次のとおり贈与(以下、「本件各贈与」という。)を受けた。

1 別紙第一目録記載の土地を昭和四二年二月一日、同目録(二)記載の土地及び同目録(三)記載の土地に対する所有権移転請求権を同年三月二六日。

2 同第二目録記載の土地を同年四月三日。

3 同第三目録記載(一)及び(二)の預金債権を同年五月三一日、同目録(三)記載の預金債権を同年二月六日。

四  抗弁に対する認否

抗弁は否認する。右各係争物件は太郎の全財産であるが、太郎が実子の第一審原告らをさしおいて第一審被告に対しその全部を贈与したとは到底考えられないことは、次の諸事情により明らかである。即ち、(イ)第一審被告は太郎の実子ではない。戸籍謄本によれば、太郎は第一審被告を昭和一六年に認知した旨の届出がなされているが、血液型などからみて太郎と第一審被告との間には親子関係がないから、戸籍簿の右記載にかかわらず、第一審被告は太郎の子ではない。(ロ)太郎は第一審被告を嫌っており、同人に財産をとられては困ると述べていた。(ハ)第一審被告はかつて太郎の財産を持ち出したため、同人から出入りを禁じられていた。(ニ)太郎は訴外甲海松子と同居し、使用人として訴外乙花松夫がいたから、第一審被告に扶養される必要はなかった。(ホ)贈与日がそれぞれ異って不自然である。(ヘ)当時太郎は老いて医療費等の出費が予想され、全財産を他人に贈与する状況になかった。(ト)第一審被告は、昭和三六年に太郎の財産を取得しようともくろんで扶養義務者指定等の調停申立をしたが、今回も昭和四二年に同様の申立をしている。以上のような訳であるから、本件各贈与に関する文書もいずれも真正に成立したものではない。

五  第一審原告らの再抗弁

1 仮に本件各贈与が存在するとしても、太郎は、明治二八年七月二〇日生で昭和四二年六月二七日死亡した当時七二歳一一か月の高令であったうえ、昭和三六年に交通事故に遭って以来頭の働きが鈍くなり、昭和四一年末頃よりは完全に弁識能力を失うに至っていた。従って、昭和四二年二月一日から同年五月三一日の間になされたとする本件各贈与は、いずれも太郎が意思能力を欠いた状態でなされたもので無効である。

2 更に、本件各贈与のうち別紙第二目録記載の土地の贈与は書面によらないものであるから、太郎において取消しうるものであったところ、第一審原告らは右取消権を相続により承継した。そこで、第一審原告らは、昭和五〇年一〇月二九日の原審第四七回口頭弁論期日において、右贈与の取消の意思表示をした。

六  再抗弁に対する認否

1 再抗弁1は、本件贈与につき太郎が意思能力を欠く状態であったとの点は否認する。

2 同2は、別紙第二目録記載の土地の贈与が書面によらないものであるとの点は否認する。甲第九号証がその書面である。(別紙第一ないし第三目録の物件ないし権利についての予備的請求)

一  予備的請求の原因

1 仮に右各物件ないし権利についての本件各贈与が有効であるとしても、同贈与は次のとおり第一審原告らの遺留分を侵害するから、第一審原告らは昭和四四年四月一九日付書面により第一審被告に対し遺留分減殺の意思表示をなし、同書面はその頃同人に到達した。

なお、以下のその一とその二は選択的に主張する。

2 遺留分の算定(その一)

(一) 第一審原告らの遺留分の率は、全財産に対し各自一〇分の一である。

(二) 算定の基礎となる財産とその価額

別紙第二目録記載の土地の贈与については、前記五の2記載のとおり、第一審原告らはこれを書面によらないものとして取消したから、右土地は太郎が死亡の時において有した財産として、遺留分算定の基礎となる財産である。

また、別紙第一目録記載の土地・権利及び第三目録記載の預金債権の各贈与は、前記二記載のとおり、いずれも太郎が死亡した昭和四二年六月二七日前一年内であるから、これらは遺留分算定の基礎となる財産に含まれる。他に、太郎の相続財産及び負債は見当たらない。

しかして、遺留分算定の基礎となる財産の価額は、一般的に言っても、又本件にあっては特に、受贈者との公平を期する見地から、口頭弁論終結時を基準として評価するのが相当であるから、右各財産の価額は次のとおり総額一七〇八万八四八二円となる。

別紙第一目録 (一) 山林   九八万八〇〇〇円

(二) 雑種地 三〇五万九〇〇〇円

(三) 畑    三二六万六〇〇〇円

同第二目録 宅地     三五三万四〇〇〇円

同第三目録 (一) 無記名定期預金 三口

(二) 同       三口

別表(一)記載のとおり

(元利とも)

(三) 普通預金    一口

小計  七二四万一四八二円

以上総合計 一七〇八万八四八二円

(三) ところで、第一審原告らは相続により別紙第二目録記載の土地につき各五分の一宛の持分権を取得したが、右持分権の価額は各五〇万六八〇〇円となる。

従って、第一審原告ら各自の遺留分侵害額は、次のとおり各一二〇万二〇四八円となる。

17,088,482円×1/10-506,800円=1,202,048円

(四) そこで、第一審原告らは、各自、第一審被告に対し、右侵害額の価額弁償の請求として各金一二〇万二〇四八円の支払を求める。

3 遺留分の算定(その二)

(一) 前記遺留分算定の基礎となる財産の価額を相続開始時を基準として評価するのが相当であるとすれば、右各財産の価額は次のとおり総額五一九万九四二一円となる。

別紙第一目録 (一) 山林   一六万七〇〇〇円

(二) 雑種地  五一万一〇〇〇円

(三) 畑     四万九二〇〇円

同第二目録 宅地     四二万六〇〇〇円

同第三目録 (一) 無記名定期預金 三口

(二) 同       三口

別表(二)記載のとおり

(元利とも)

(三) 普通預金    一口

小計  四〇四万六二二一円

以上総合計  五一九万九四二一円

(二) ところで、第一審原告らは相続により別紙第二目録記載の土地につき各五分の一宛の持分権を取得したが、右持分権の価額は各八万五二〇〇円となる。

従って、第一審原告ら各自の遺留分侵害額は、次のとおり各四三万四七四二円となる。

5,199,421円×1/10-85,200円=434,742円

(三) そこで、第一審原告らは、いずれも右金額四三万四七四二円の範囲で、別紙第三目録記載(二)の(1)ないし(3)の各預金債権につき減殺請求をすると、第一審原告らは右預金債権に対し別表(三)記載のとおりの割合による各権利を有することになる。よって、第一審原告らは、右預金債権につき、予備的請求(二)のとおりの確認を求める。

二 予備的請求の原因に対する答弁

第一審原告ら主張の各財産の価額は不知。遺留分算定の基礎となる財産は相続開始時の取引価額をその評価額とすべきであり、また第一審原告らが生計の資本として受けた財産も計上すべきである。

三 第一審被告の抗弁

1 第一審原告らの遺留分減殺請求権は、相続の開始及び減殺すべき贈与を知った日から一年間の経過により消滅時効が完成しており、第一審原告らの減殺請求の主張はその後になされたものであるから、第一審被告は本訴において右時効を援用する。

2 仮に右時効の抗弁が理由がないとされた場合には、第一審被告は価額による弁償を申し出るものである。

四 抗弁に対する認否

抗弁1は否認する。遺留分減殺請求権の消滅時効が進行するには、単に贈与があったことを知ったのみでは足りず、その贈与が遺留分を侵害して減殺しうべきものであることを知る必要がある。しかるに、本件においては、第一審原告らは本件各贈与の不存在を確信して本訴を提起しているのであり、このような場合には時効は進行せず、その起算点は右訴訟の判決があった時からとすべきであり、本件のような複雑な事案においてはなおさらのことである。また、別紙第二及び第三目録記載の各財産については、その贈与があったこと自体、昭和四三年四月二二日に至って初めて知ったものであり、第一審原告らはそれから一年以内の昭和四四年四月一九日付書面で減殺請求の意思表示をしているものである。

第三証拠《省略》

理由

第一主位的請求について

一  右請求原因事実中、太郎が昭和四二年六月二七日死亡したこと、第一審原告らはいずれも太郎の子として相続人であること、別紙第一目録(一)、(二)記載の各土地及び別紙第二目録記載の土地の各所有権、別紙第一目録(三)記載の土地の所有権移転請求権並びに別紙第三目録記載の預金債権がいずれも太郎に属するものであったこと、右第一目録記載の各土地ないし請求権について別紙登記目録記載の如き各登記がなされていることは、いずれも当事者間に争いがない。

なお、《証拠省略》を総合すると、第一審被告は太郎の子として昭和一六年三月四日受付による認知届がなされてはいるが、真実は第一審被告は太郎の実子ではないことが認められる。従って、右認知は無効のものであり、また、右認知に養子縁組としての効力を認めることもできないから、第一審被告は太郎の前記財産につきなんら相続権を有しないものである。

二  そこで、別紙第一ないし第三目録記載の各財産につき第一審被告主張の贈与の存否を判断する。

1  まず、右贈与にかかわりのある証書として、別紙第一目録(一)記載の土地につき乙第一号証(不動産贈与証書)及び甲第一〇号証の三(委任状)、同(二)記載の土地につき甲第一一号証の三(委任状)、同(三)記載の土地所有権移転請求権につき甲第一三号証の三(委任状)、別紙第二目録記載の土地につき甲第九号証(内容証明郵便)、別紙第三目録(一)及び(二)記載の各定期預金につき乙第五号証(贈与証書)、同(三)記載の普通預金につき乙第四号証(贈与証書)及び乙第七号証(預金債権譲渡通知書)が存在するが、右各証書が真正に成立したものか否かにつき検討する。

(一) 右各書証の印影について

乙第一、第四、第五、第七号証の甲野太郎名下の各印影が同人の印章によるものであることは当事者間に争いがなく、また甲第九号証、第一〇ないし第一二号証の各三の同人名下の印影は、右乙第一、第四、第五、第七号証の同人名下の各印影と対照すると、その印影は同一であることが認められる。

(二) 右各書証の署名について

成立に争いのない甲第一三、第一四号証、乙第一一号証、第一二号証の一・二、第一三号証、原審における鑑定人太田和也の鑑定結果、原審証人丙田竹夫の証言並びに原審における第一審被告本人尋問の結果(第一、二回)を総合すると、乙第一、第五号証の甲野太郎の各氏名は同人の自署によるものであることが認められ、右認定に反する乙第一号証についての原審における鑑定人浅田幸作の鑑定結果及び同鑑定証人の証言は次に述べるとおりにわかに採用し難く、他に右認定をくつがえすに足る証拠はない。すなわち、右浅田の鑑定結果及び証言は、太郎の自署による甲第一三、第一四号証の同人の氏名と乙第一号証の同人の氏名を、その筆跡の速度、形態、書体、調和性及び癖等の見地から比較対照し、右両筆跡は同一人のものではないと推定するものである。しかしながら、前記丙田証人の証言によれば、太郎は乙第一号証に署名した当時はかなり老衰しており、署名するのに手がふるえる状態であったことが認められるので、署名の際のこのような附随的事情は筆跡の同一性を判定するための重要な要素と考えられるところ、右浅田の鑑定結果及び証言は右事情を十分に考慮したものとは認め難いうえに、同鑑定の指摘するように他人が太郎の筆跡を真似たものとすると、書体があまりにも不自然すぎるように思われ、かえって納得し難いので、同鑑定結果及び証言はにわかに採用し難いものである。

次に、前記証人丙田の証言及び第一審被告本人尋問の結果によれば、甲第一〇ないし第一二号証の各三及び乙第四号証の甲野太郎の各氏名は同人の自署によるものであり、甲第九号証及び乙第七号証の同人の各氏名は同人の依頼により右丙田が代筆したものであることが認められ、右認定に反する甲第一〇ないし第一二号証の各三についての前記浅田の鑑定結果及び証言、乙第四号証についての前記太田の鑑定結果並びに右浅田の鑑定結果及び証言は次に述べるとおりいずれもにわかに採用し難く、他に右認定をくつがえすに足りる証拠はない。すなわち、甲第一〇ないし第一二号証の各三についての右浅田の鑑定結果及び証言を検討すると、乙第一号証について前述したと同様の事由があるのでにわかに採用し難い。また、乙第四号証についての右太田の鑑定結果並びに浅田の鑑定結果及び証言を検討すると、右丙田証人の証言によれば、乙第四号証の太郎の氏名は丙田が鉛筆で下書をした上を太郎がなぞって署名したものであることが認められるので、署名の際のこのような附随的事情は筆跡の同一性を判定するための重要な要素であると考えられるところ、右太田の鑑定結果は右事情を十分に考慮したものとは認められないのでにわかに採用し難く、また右浅田の鑑定結果及び証言についても、右と同様の事由があるうえに、乙第一号証について前述したと同様の事由があるので、結局採用し難いものである。

なお、右証人丙田は、乙第一号証につき、当初は「乙第一号証の署名は太郎の家に持って行き本人に自署してもらった。」旨証言していたのに、約二か月後の続行尋問においては「乙第一号証に太郎さん本人が署名されたかどうか、現在はっきり記憶がありません。」旨証言しているが、右続行尋問における証言が同証人に対する主尋問からわずか二か月後の反対尋問の際になされたものであることに照らすと、後の証言の方が信用性が高いともみうる余地はあるが、しかし、いずれにせよ同証言は、乙第一号証の太郎の氏名が自署であることについて疑いをひきおこすほどのものとは認められない。

さらに、同証人は、乙第四号証につき「私が太郎さんにこの部分に署名して下さいというて、鉛筆で書いて差し上げたものであります。そして、太郎さんは、私の前でその鉛筆書の上をなぞって署名をされたのであります。」旨証言し、第一審被告が原審における第一回本人尋問において「その署名には鉛筆で下書してありますが、これは最初鉛筆で署名したのですが、この様な書類は鉛筆では駄目だといわれましたので、その上にペンで太郎が署名しました。」旨供述しているのとやや異なっているが、第一審被告は乙第四号証は丙田司法書士の事務所で作成したと思うと供述しているところ、太郎が丙田司法書士の事務所で乙第四号証に署名したとすれば、丙田司法書士が最初から鉛筆で署名させるようなことはしないと考えられるので、第一審被告の最初鉛筆で署名した旨の右供述は記憶違いかあるいは感違いによるものと思われ、証人丙田の右証言の方が正確であると考える。

(三) 右(一)及び(二)に認定したところによると、前記各証書の太郎の作成部分はいずれも真正に成立したものと推認することができる(なお、乙第一、第五、第七号証の各官署作成部分の成立はいずれも当事者間に争いがなく、甲第九号証、第一〇ないし第一二号証の各三の各官署作成部分はいずれも公文書であるから成立が認められる。)。

2  右のとおり成立の認められる乙第一、第四、第五、第七号証、甲第九号証、第一〇ないし第一二号証の各三、成立に争いのない甲第一〇ないし第一二号証の各一・二、原審証人丙田竹夫の証言並びに原審における第一審被告本人尋問の結果(第一、二回)によれば、第一審被告主張の贈与の事実を認めることができる。

3  第一審原告らは、太郎は自分の子である第一審原告らをさしおいて第一審被告に自己の全財産である前記財産を贈与する理由は全く存しない旨主張する。しかしながら、成立に争いのない甲第二号証、甲野太郎名下の印影は同人の印章によるものであることは当事者間に争いがなく、その氏名は原審における鑑定人阿部金正の鑑定結果によって太郎の自署であることが認められるので、太郎の作成部分は真正に成立したものと推認することができ、その余の《証拠省略》を総合すると、次の各事実が認められる。

(一) 第一審被告は大正八年四月三日母甲野花子と某男との間に出生したが、その後の大正一二年一一月一四日太郎は右花子と婿養子縁組のうえ婚姻届をなし、家業である蒲団屋を営み、花子との間に第一審原告ら五名の子をもうけた。そして、第一審被告については、結婚話が生じたのを機に私生子という身分では支障があると考え、太郎の子として認知届がなされたものである。

(二) しかし、第一審被告の縁談は成立せず、太郎の実子である第一審原告らは次々と結婚し世帯を持って別居したが、第一審被告だけは嫁がずに生家である愛知県岡崎市祐金町一丁目一〇番地の太郎方で同居して来た。この間、太郎の妻花子は昭和三〇年二月九日死亡したが、太郎には昭和初め頃から同家に奉公に入っていた訴外甲海松子(花子死亡当時六一歳)という女性があって、花子の死亡後は太郎と同棲同様の生活を送り、第一審被告は洋裁の仕立をして生計を立てていた。

(三) ところで、第一審被告は、右のような境遇による影響もあってか、その言動に幾分粗暴な面があり、他方、太郎は、第一審被告が私生子とはいえ家付きの娘であるということで、同人に対しとかく遠慮勝ちであったが、太郎一家はとり立てていうほどの波風もなく生活を送って来た。しかし、第一審原告一郎が、一八歳位であった昭和二八年頃第一審被告所有のダイヤや着物等を勝手に持出して質入れしてしまったことがあってから、家庭内(当時の家族構成は太郎夫婦、第一審原告一郎、同冬子及び第一審被告)の空気は変わり、第一審原告一郎と第一審被告は反目するようになった。

(四) 第一審原告一郎は、昭和三一年四月に大阪の大学へ入り、同大学卒業後は大阪で働いていたが、昭和三六年七月には当時身重になっていた内縁の妻を残して岡崎市に戻り、同市祐金町の太郎方で同人及び第一審被告と同居しながら、姉の第一審原告乙山夫婦が三共化成なる商号で営んでいたビニール製品を取扱う仕事に従事したが、同年九月初め頃その仕事もやめた。

(五) ところで、これより先の昭和三六年九月初め頃太郎は交通事故により負傷して入院したので、その頃前記三共化成をやめていた第一審原告一郎は太郎に代って同人の営んでいた産後の汚物を片付ける胞衣商の仕事を手伝うようになったが(蒲団業の方はほとんど廃業状態であった。)、二か月位して太郎が退院するや、第一審原告一郎は、太郎が婿養子であって妻花子に対し頭が上らなかったうえに、第一審被告を邪けんに扱うようなことをすると自分の世間体が悪くなると口癖のように言っていた太郎の態度に業を煮やし、「自分が可愛いのか花代が可愛いのかはっきりしてくれ。」と迫ったことがあったが、その時の太郎の返事は、第一審被告の気持を害すると家の示しがつかなくなるとのことであった。これに落胆した一郎は、戦時中に祖父甲野一夫が買って自分の名義にしてくれていた不動産、即ち太郎及び第一審被告らが当時居住していた岡崎市祐金町一丁目一〇番の土地及びその地上建物外二筆の土地を売却しようと決意し、その旨太郎に告げたところ、同人は自分の好きなようにせよとの返事であった。

(六) そこで、第一審原告一郎は、昭和三六年一一月頃岡崎市祐金町一丁目一〇番の土地一四〇坪のうち太郎らが使用していなかった裏側九〇坪及びその地上建物(空屋)を訴外鈴木哲正に代金一三五万円で売却し、同金員を大阪での商売の資金として使用した(なお、右土地のうち残り五〇坪は、太郎死亡後の昭和四二年一一月頃右訴外人外一名に代金合計二五〇万円で売却した。)。

(七) 一郎の右不動産売却の事実を知った第一審被告は、昭和三六年一一月頃太郎名義の財産の確保をもくろんで第一審原告一郎、同春子を相手方として名古屋家庭裁判所岡崎支部に太郎の扶養義務者指定等の調停申立をなし、自己を太郎の扶養義務者に指定してもらうことにより、同人の財産を第一審原告らが取得するのを防ごうと考えた。しかし、第一審被告が太郎の前記入院中に同人の株券や預金を取り上げたので、太郎は第一審被告の出入りを嫌い、第一審被告の扶養を受けるのを好まなかったこともあって、昭和三七年一月二三日右裁判所において成立した調停は、太郎の扶養は全部第一審原告一郎がすること、同一郎は太郎に対し昭和三七年二月から毎月六〇〇〇円宛を毎月末日限り持参又は送金すること、太郎は第一審被告に扶養の請求をしないこと、第一審被告は昭和三七年三月末日限り太郎方を出て別居すること、第一審被告はかねて昭和三六年九月一六日太郎から贈与を受け所有権移転登記も経由していた本件第一目録(一)記載の山林外一筆の不動産を太郎に返還すること等の内容からなり、第一審被告の意図とは全く反対の結果となった。

(八) その後、太郎は、自己の所有地を東名高速道路用地として売却し、その補償金約四〇〇万円を入手したが、第一審原告丁原が当時病院の建設資金を求めており、同丁原や第一審被告によって右金員が使われることを危惧した第一審原告一郎は、太郎を説得して右金員を定期預金(別紙第三目録(一)及び(二)記載の無記名定期預金)にし、その証書を大阪の自宅に持帰って保管していた。しかるに、太郎は、その後これを一郎に騙されたものと受けとめ、このことを第一審被告や訴外丙田竹夫に相談して、一郎が右定期預金を引出すのを差し止めるための保全処分を申請したり、預金先の銀行を相手取って訴訟を提起したりしたが、昭和四一年一一月一五日及び翌年二月頃、太郎は第一審被告と共に一郎方を訪れ、一郎が保管していた右預金証書や届出印鑑の返還を求め、これらを持帰った。

(九) そして、第一審被告は、その前後頃から再び太郎方へ出入りするようになり、昭和四一年三月頃それまで太郎の世話をして来た前記松子が病気で同人のもとを去った後は、実子である第一審原告らが太郎の面倒を見る様子もなかったので、近くに住んでいた第一審被告が右松子に代って太郎の下の世話等をしていた。なお、第一審被告は同年六月名古屋家庭裁判所岡崎支部に太郎の扶養義務者等変更の調停申立をしたが、前記のごとく同月二七日太郎は死亡するに至った。

以上の各事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

4  しかして、右認定の事実関係によれば、第一審被告が太郎を格別金銭的に扶養して来たような事実はなく、しかも、太郎は第一審被告を必ずしも好いていなかったばかりか、昭和三七年三月には同人の態度を嫌ってそれまでの長期間にわたる同居生活を打切り別居するに至っており、《証拠省略》によると、太郎はかねがね第一審被告に対しては財産はやりたくない旨ほのめかしていたというのであるから、これらの点よりすると、太郎が、実子である第一審原告らをさておき、実子でもない第一審被告一人に対し自己の全財産を贈与するとは考えられないとの第一審原告らの主張も一理ないわけではない。

しかしながら、他方、太郎はかねてから第一審被告に対し遠慮勝ちであり、その態度を第一審原告一郎から難詰されたりしていたこと、太郎は昭和三六年に第一審被告に対し一旦別紙第一目録(一)記載の山林外一筆の不動産を贈与しながら、後日調停においてこれが返還を受け、また、第一審原告一郎に一旦保管を依頼した定期預金証書の返還を求めて裁判に及ぶなど、自己の財産の管理及び処分に関する太郎の心情はその都度揺れ動いていたことが観取されること、加えて昭和四二年三月にはそれまで面倒を見てくれていた前記松子が病気で去ったが、太郎の実子である第一審原告らは同人の面倒を見る様子もなく、折しも老衰の度を加えていた太郎としては、近くに住んでいた第一審被告を頼らざるをえない状況にあったこと等の事情も見受けられるのであって、このような事情に照らすと、太郎が第一審被告に心を寄せざるをえない心境に立ち至ったであろうことは推察するに難くなく、この機を逃さず、第一審被告は機敏に太郎の右心情に取入り、以後の面倒を見ること等を条件に太郎に対し逐次本件各財産の贈与を求め、同人に承諾させたものと推認されるところである(このような訳であるから、贈与日がそれぞれ異なっていて不自然であるとか、太郎は老後の医療費の出費が予想されるのに全財産を贈与するいわれはない等の第一審原告らの非難も当らないというべきである。)。

以上のとおりであるから、第一審原告らの前記主張は、上記贈与の存在の認定を左右するものではない。

三  第一審原告らは抗弁として、まず、本件各贈与当時、太郎は意思能力を有していなかったと主張する。

しかして、《証拠省略》中には右主張に添う部分もあるが、右は、《証拠省略》に照らしてにわかに措信できず、他に右主張を認むべき証拠はない。従って、第一審原告らの右主張は採用することができない。

四  さらに、第一審原告らは別紙第二目録記載の土地の贈与は書面によらないものであるから取消すると主張し、第一審被告は、甲第九号証の書面が存在するから、右贈与は書面によるものである旨争うので検討する。

ところで、民法五五〇条が書面によらない贈与を取消しうるものとした趣旨は、贈与者が軽率に贈与を行うことを予防するとともに、贈与の意思を明確にし後日紛争が生じることを避けるためであるから、贈与が書面によってなされたものといえるためには、贈与の意思表示自体が書面によってなされることは必ずしも必要ではなく、当事者の関与又は了解のもとに作成された書面において贈与のあったことが確実に看取しうる程度の記載があれば足りる(最高裁判所昭和五三年一一月三〇日判決・民集三二巻八号一六〇一頁参照)。

これを本件についてみるに、右甲第九号証は前叙のように太郎の真正に作成した文書と認められるものであるところ、同書面は同人が別紙第二目録記載の土地のもと所有者である訴外丁月梅夫に宛てて昭和四二年四月三日付で差出したもので、「同訴外人から買受けた右土地を右同日付で第一審被告に譲渡したから、所有権移転登記手続は同人になされたい。」旨の記載のあるものであることが認められる。そうすると、同書面は、右土地につき太郎と第一審被告との間に贈与の意思表示がなされた書面そのものではないが、太郎が第一審被告に右土地を譲渡(贈与)したことに基づき同人への所有権移転登記手続という重要な手続を求めたものとして、太郎から第一審被告へ右土地が贈与された事実を確実に認めることができるから、同書面は民法五五〇条にいう書面に当たるものと解するのが相当である。従って、第一審原告らの前記主張も採用することができない。

五  不当利得返還請求について

《証拠省略》によれば、第一審被告は昭和四一年一月七日岡崎信用金庫の太郎名義の預金口座から金六八万〇九五七円を引出したことは認められるが、右引出については太郎の承諾のあったことが認められ、右認定をくつがえすに足りる証拠はない。従って、第一審原告らの右請求は理由がない。

第二予備的請求について

そこで進んで、第一審原告らの予備的請求につき判断することとする。

一  第一審原告らの遺留分について

第一審原告らはいずれも太郎の子であるから、その遺留分は民法一〇二八条一号(昭和五五年法律第五一号による改正前)により同人の財産の二分の一であり、従って、第一審原告らの遺留分率は各自一〇分の一である。

二  遺留分算定の基礎となる財産とその価額

遺留分は、被相続人が相続開始の時において有した財産の価額にその贈与した財産の価額を加え、その中から債務の全額を控除して、これを算定する(民法一〇二九条)。その際、共同相続人中に被相続人から生活の資本として贈与を受けた者らがあるときは、その贈与の価額を加えることになる(民法一〇四四条、九〇三条)。そこで、以下本件につき検討する。

1  先ず、太郎が相続開始時において財産を有していたことの主張・立証はない。従って、本件遺留分算定の基礎となる財産は、第一に相続開始前一年以内になされた本件各贈与財産である。

2  ところで、遺留分の権利が具体的に発生し遺留分侵害の範囲が定まるのは相続開始時であるから、右遺留分侵害の範囲を確定するための贈与財産の価額評価の基準時は相続開始時と解するのが相当である。

しかして、《証拠省略》によれば、本件各贈与財産のうち別紙第一及び第二目録記載の各財産の価額は合計一五九万六〇〇〇円であることが認められる。

次に、別紙第三目録(一)及び(二)記載の各定期預金については、各満期日に継続の手続がとられたことの証拠はないところ、継続の手続がとられないで経過してきた定期預金については、後日預金者において定期預金としての継続の手続をとれば、その利息は継続時の定期預金の利率で過去に遡って全期間を計算されることになることは、《証拠省略》によって推認することができる。そして、このことと、《証拠省略》によれば、右各定期預金の預入日から相続開始時までの定期預金の利率は、一年定期で年五・五パーセントであったこととに照らすと、右各定期預金の相続開始時における価額(元利合計額)は、各元本に、その各預入日から相続開始時までの期間につき年五・五パーセントの利率で計算した利息を合算した金額と認めるのが相当である。そして、その金額が、別表(二)の各該当欄記載の各金額(四捨五入。以下計算関係において特に断らないときは同じ。)の合計額たる三八一万九六〇四円となることは計算上明らかである。

また、別紙第三目録記載(三)の普通預金については、その預入日から相続開始時までの利率が年二パーセントを下らないことは、《証拠省略》によって推認しうるところ、これによると、右普通預金の相続開始時における価額(元利合計額)は、別紙(二)の該当金額二二万六六一七円となることも計算上明らかである。

そうすると、別紙第三目録(一)及び(二)記載の各定期預金並びに同目録(三)記載の普通預金の相続開始時における価額は、合計四〇四万六二二一円となる。

3  第一審被告は第一審原告らが生計の資本として贈与を受けた財産を計上すべきであると主張するが、その内容等につき何ら具体的な主張・立証もないから、右主張は採用できない。

なお、太郎に債務があったことは認められない。

4  以上によれば、本件遺留分算定の基礎となる財産の価額は、前記2項に認定の各金額の合計である五六四万二二二一円となる。

三  侵害された遺留分の価額

第一、二項に認定したところによれば、第一審原告らが侵害された遺留分の範囲は、次のとおり各五六万四二二二円となる。

5,642,221円×1/10=564,222円

(なお、第一審原告らは、右の額より更に別紙第二目録土地の各持分額を控除したものを遺留分侵害額とするが、上記のように同土地についての贈与の取消が認められない以上、右を控除すべきでないのは勿論であり、第一審原告らの主張も当然この趣旨を含むものと解される。)。

四 しかして、《証拠省略》によれば、第一審原告らは昭和四四年四月一九日付書面により第一審被告に対し遺留分減殺の意思表示をなし、右書面はその頃第一審被告に到達したことが認められる。

ところで、第一審被告は、右減殺請求権は時効によって消滅したと主張する。しかしながら、遺留分減殺の請求権は、遺留分権利者が相続の開始及び減殺すべき贈与があったこと、即ちその贈与が遺留分を侵害することを知ったときから進行するところ、本件においては、第一審原告らは、本件贈与の不存在等を主張し、太郎の死亡直後である昭和四二年八月二六日第一審被告を相手方として本訴提起に及んでいるのであり、その抗争の態様及び経過に照らすと、本訴につき未だ一審判決もなされていない以前の段階である前記減殺請求の意思表示の時点において、第一審原告らが本件各贈与が遺留分を侵害することを知っていたとは認め難いから、第一審被告の右消滅時効の抗弁は理由がなく採用することができない。

五 減殺の対象及び減殺額

そこで、第一審原告らは、第三項に認定の遺留分侵害額の限度で本件各贈与を減殺することになるが、贈与の減殺は遺留分を保全するに必要な限度で後の贈与から始めて順次に前の贈与に及ぶものであるから、本件においては、最後の贈与である別紙第三目録(一)及び(二)記載の各定期預金が減殺されることになる。

そして、右各贈与は同一の日になされているから、民法一〇三四条本文を類推適用して、前記認定の右各預金の価額の割合に応じてこれを減殺すると、次のとおり、右第三目録(一)記載の定期預金の贈与については一二〇万〇三六六円、同目録(二)記載の定期預金の贈与については一六二万〇七四四円の各範囲で減殺されることになる。

右第三目録(一)記載の定期預金について

同目録(二)記載の定期預金について

六 価額弁償の請求について

ところで、第一審被告は前記減殺につき価額の弁償をする旨主張し、第一審原告らも、遺留分算定の基礎となる財産の価額を口頭弁論終結時を基準として評価することを前提とするものではあるが、やはり選択的に価額弁償を請求している。しかして、遺留分算定の基礎となる財産の価額評価の基準時をいつに置くかはひっきょう法律解釈に係る問題であるから、第一審原告ら主張の基準時によりえない場合でも、第一審原告らとしては、結局、選択的請求のうち有利な結果の出る分の請求の認容を求める趣旨と解される。この意味において、第一審原告らも価額弁償が有利であるならば、これを積極的に求めているものと解すべきである。また、民法一〇四一条の価額による弁償の規定は、現物の返還に代るものであるから、通常は単に弁償を申出るのみでは足らず、遺留分権利者をして右価額を確実に手中に収めさせるに必要な措置を伴うことを要するものと解せられるのであるが、本件のように、受贈者のみならず、たとえ選択的にせよ遺留分権利者もまた価額弁償による処理を主張している場合には、第一審被告において右価額の弁償を現実に履行し又は価額弁償のための提供をなす等の措置を講じたことの主張・立証がなくとも、遺留分権利者の利益を害しないものと認めて価額弁償を命ずることは、民法一〇四一条の前記法意に反しないものと考える。

そこで進んで、本件における価額弁償の額を検討するに、その判断の基準時については、前記遺留分侵害の範囲を定める場合とは異なり、価額弁償の制度が現物の返還に代るものである以上、それは口頭弁論終結時を基準とし、その時点における評価額を弁償すべきものと解するのが相当である(最高裁判所昭和五一年八月三〇日判決・民集三〇巻七号七六八頁)。

よって、まず、本件減殺請求の対象となった前記各定期預金自体の本件口頭弁論終結時における価額をみるに、これについては、利息の算定期間を預入日から本件口頭弁論終結時までとし、又利率は、右算定期間がかなり長期間に及んでいることに鑑み、第一審原告らの主張と同じく二年定期の年六パーセントで計算することとする外は、前記相続開始時における右各預金の価額を算定したのと同様の方法で算出すべく、そうすると、別紙第三目録(一)記載の定期預金については二九六万四九〇三円(別表(一)の目録(一)の(1)ないし(3)の元利合計二九六万六四九〇円から、下記のとおり一五八七円を差引いた金額。同表の右金額には、利息計算において各元本につき五二九円を過大に算出している違算があるので、その三倍に当たる一五八七円を差引くことにする。)となり、また右第三目録(二)記載の定期預金については、別表(一)の目録(二)の(1)ないし(3)の元利合計額三九八万三一二三円となることが計算上明らかである。

そこで、右の各評価額に、前記第五項に認定の減殺割合を乗ずると、本件減殺額の口頭弁論終結時における価額は、次のとおり合計五一三万一七二二円となる。

右第三目録(一)記載の定期預金について

2,964,903円×1,200,366円/1,625,220円=2,189,838円

同目録(二)記載の定期預金について

3,983,123円×1,620,744円/2,194,384円=2,941,884円

2,189,838円+2,941,884円=5,131,722円

従って、第一審原告らは、それぞれ、第一審被告に対し、右五一三万一七二二円の各五分の一である各一〇二万六三四四円を価額弁償として支払を求めることができるから、第一審原告らの予備的請求は右の限度で理由がある。

第三結論

以上のとおりであるから、第一審原告らの主位的請求はいずれも理由がないからこれを棄却すべきであり、予備的請求は第一審被告に対しそれぞれ各金一〇二万六三四四円の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余はいずれも失当としてこれを棄却すべきである。

よって、右と異なる原判決を主文第二、第三項のとおり変更することとし、訴訟の総費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九二条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小谷卓男 裁判官 寺本栄一 裁判官浅野達男は転補につき署名押印することができない。裁判長裁判官 小谷卓男)

<以下省略>

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